青山透子さんは、この『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』を出版して大丈夫だったのだろうか?
真実を知りたくて、自ら掘り下げて調べることは誰にでもある行動です。
今回、青山透子さんという著者について、興味が沸いて、検索してみました。
【青山透子さんのプロフィール】
ノンフィクション作家。東京大学大学院博士課程修了、博士号取得。日本航空国際線客室乗務員として国内線時代に事故機のクルーと同じグループで乗務。その後、官公庁、各種企業、大学等で人材教育に携わる。
青山さんが日航123便墜落に関して、客室乗務員の同僚を失ったことへの強い思いを持って、関連の著書を出し続けています。今回、読んだ本『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』は、驚きの新事実もあるのですが、その説を多くの方が信じてしまうと、世の中が大変なことになってしまう内容でした。
それでも、青山透子さんが伝えたい日航123便墜落の真実を知るために集めた情報を、必死にまとめた1冊のノンフィクションとして読みました。
1985年8月12日、あなたはどこで何をしていましたか?
1985年8月12日、私は、安達太良山のくろがね小屋で叔母と二瓶義松さんと一緒にいました。叔母が山小屋の仕事を手伝ってきた。(私は、小学生5年生なのでアルバイトではありません!山小屋のボランティアキッズです)
あの夜の出来事は、子供だった私に、強烈な印象が残っています。私自身が山の中に寝泊まりしているわけで、飛行機が山に落ちてくると言われれば、外に出て夜空を眺めながら不安な気持ちでいっぱいになりました。夜空には、きらめく星空のもとで虫の声しか聞こえない。この空から飛行機が降ってくるなら、逃げられない。
あの夜の出来事は、私の記憶の中で忘れられないものとして残っています。
実際、私の目には、一度も大きなジャンボ機を見ることはありませんでした。
『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』青山透子
元客室乗務員だった、青山さんが墜落事故について丹念に調べて書かれた一冊を手に取りました。
1985年8月12日に発生した驚きの航空大事故。
「ボーイング社の後部圧力隔壁の修理ミスが事故原因」として、片付けられました。
歴史の中で事実として定着してきた話。
この根本を疑い、丁寧に読み解いていくと、青山さんの覚悟、粘りには恐ろしく強い思いを感じました。同僚や先輩たち、乗客たちが、どうして亡くならなければいけなかったのか。真実は、ただの事故だったのか。
確かに、直前までも何度もJA8119号機は、日本の空を飛んでいた。確かに、数年前にしりもち事故を起こしたとしても、その後も整備スタッフは定期的にケアをしていたはず。本当に見落としていたのだろうか。事前に、異常があれば、対応する技術力はあったはず。
新事実につながる情報を積み重ねていくと何かの仮説が見えてくる
青山さんは、飛行機内の乗客乗員の話、遺族の話に終始するだけで終わらず、空を飛んでいた日航123便を地上から見た目撃者の話を丁寧に拾い続ける。
皆の記憶に残っていたのは、低空飛行を続けるジャンボ機だったから。しかも、飛行機の機体の左腹部に見えた赤いもの、そして、ファントム二機が追尾したという話を仕入れる。
空に消えた時点で、日航123便は、長野か、群馬か、海か、など行方不明になっていたと報道されていたはず。
なぜ、追尾されていたならば、早々に墜落現場は攫めていたはず。
もちろん、今のGPS機能であったり、スマホで何でも撮影する時代でない頃の話だけに、人の記憶はあいまいなのかもしれない。
そもそも、なぜ、ファンナム機が追尾していたのだろうか?
青山さんは、群馬県上野村小学校百四十八名の日航機墜落事故についての文集『小さな目は見た』(1985年9月30日発行)、群馬県上野村立上野中学校八十七名の日航機墜落事故特集『かんな川5』(1985年10月1日発行)の存在を見つけてきました。
彼らは純粋な目で、事実を物語り、墜落に向かう機体とその周辺で何が起こり、事故現場を感じていたのかが綴られている。
事故現場はわからないという発表を聞いた記憶がある私とのズレは何なのだろう。
横田基地への不時着を目指したのに、なぜ、御巣鷹山に落ちたのか。しかも、救助が遅れた理由がわからない。
大型機が落ちた事故ならば、近隣住民から通報が上がって当然の話。消防団、自衛隊などの関係者がもっと早く現地に迎えていれば、助かった命があったはずなのに。
検死の情報まで掘り下げていくと、あの事故の真実の姿が浮かび上がってくる
ここから、青山さんは検死に関わった医師たちの証言まで掘り下げていく。
「(機体)前部の遺体には損傷や焼損が目立ち、衝撃のすさまじさと主翼の燃料タンクの火災の影響を受け、焼損遺体の中には部位も判然としないものがあり、通常の家屋火災現場の焼死体をもう一度焼損したようにみえた(略)」(群馬県医師会活動記録『日航機事故に対する法医学の対応』昭和61年10月1日発行)
「黒いコロコロとした塊があるだけで、人としての原型を止めておらず、歯を含む骨まで完全に炭化した状態」という完全炭化で見つかる遺体。
本当に、ジェット機燃料は、ここまで人を焼くのだろうか、という疑問に展開されていく。
ここで、恐ろしい仮説にたどりつく、ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料でなければ完全炭化に至らないという話。そのゲル化燃料は、一般には入手・利用はなく、軍用の武器であるという調査結果に至りつく。
つまり、何か隠したい事情があったという話が浮き彫りにされる。
本当に、青山さんが調べた事実、情報を並べていけば一定の答えが出てしまう。それは、あの事故の意味を180度変えてしまう大問題に違いない。
どう捉えればいいのか、この一冊を読み終えて思い悩んでしまいました。
確かに、最近の海外の戦争で誤爆という話は耳にします。狙った標的でないものを破壊する行為は、今でもあるのだから、1985年にだって、日本にでも十分あり得る話。また、提示された事実のために、隠蔽目的で、いくつかの事象が絡み合う中で、人命を軽んじられたとしたならば、許されざる話に違いない。
あの事故以降、日本では大規模な航空機の墜落事故は起きていない。もし、一部の部品の問題であれば、その後も同じような事象が起きていても仕方がないと思われる。
一つだけ言えることは、未だに完全に公開されていないボイスレコーダーを開示することが必要なのだと思う。
あの520名の命を失った本当の理由、事実はどこにあるのか。
世論が分かれて大騒動になるとしても、当時の関係者が生きているうちに、全てを明らかにして欲しいと願う。それぐらいしか、私たちにとって、彼らへの供養はないはずだから。
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【サードプレイス】ブロガー 、安斎輝夫。長年サラリーマンとして家庭と職場だけの生活に疑問を持ち、2017年から「サードプレイス」を研究・実践し、人と人をつなぐコネクターな存在になろうと決める。
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