織田信長軍の「総司令官」と呼ばれる柴田勝家は、なぜ、賤ヶ岳の戦いで敗北したのか

戦国時代の武将の中で、猛者でありながらも、不遇な終わり方を迎える者と、次世代に繋げて存続する者に分かれます。

柴田勝家を知らない歴史好き、特に、戦国時代好きな人はいないはず。

では、彼は、なぜ、豊臣秀吉との賤ヶ岳の戦いで敗北したのでしょうか。

柴田勝家が天下人になれなかった理由は何なのか、一冊の本を読んで考えてみました。

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人生の大半を戦で終えた男、柴田勝家

柴田勝家像

決して、イケメンでも、不器用なまでの戦の男だった印象の残る、柴田勝家の肖像画。

彼の出生は、1527年(1522年〜1530年まで諸説あり)であり、戦国時代の登場人物としては最適なタイミングでした。

尾張時代から織田家に仕えて、信秀、信勝、信長に仕えてきました。

特に、信長の各戦において、確実に勝利を勝ち取るために必要な猛者であり、総司令官的な存在だったと、戦国歴史研究家の和田裕弘さんは著書『柴田勝家 織田軍の「総司令官」 (中公新書)』の中で語っています。

人生の大半を戦で勝ち続けた猛者、柴田勝家が、どうして、サブキャラ的な扱いなのか、最後に、賤ヶ岳で秀吉軍に敗北するのかを考えてみます。

織田軍の中で、総司令官クラスだった男には信頼できる部下・組織、後継者がいなかった

織田軍は、年々、領地を広げ、天下取りに向けて拡大していく中で、信頼がおける強い武将といえば、間違いなく、柴田勝家だったと推察されます。

この時代、調略されたり、相手方に寝返る裏切りなども頻繁なのに、彼は、主君に対して、裏切る行為は一度もなく、信長からの信頼度も高い人物でした。

ただ、一方で、彼には、信頼できる部下、組織、そして、後継者たるものがおらず、晩年に彼が秀吉との対立の中で不遇な扱いを受けて、この世を去る要因ともなります。

つまり、おやかた様である信長への忠誠心で生きていて、自分の姿を周りの人間も見ていれば、同じように支持してもらえると考えていたのではないでしょうか?

実子、養子、親戚などの関係者がいながらも、明確な序列を作らなかったことにより、争いが起きてしまうのが戦国時代の武将家族です。

早々に、2代目を決めた、徳川家康が江戸幕府を開くという展開になり得たことは納得できます。

北陸方面を担当し、冬の時期に動けず、移動に苦労したはず

織田信長の天下統一にとって、京都などの関西地域を抑え、周辺の地域として、北陸は重要な場所であり、柴田勝家を方面司令官的に委ねたのは理解できます。

一向一揆なども含めて、完全に信長に従属しない相手と戦いながら、広大な地域を任される勝家。

ただ、どうも同僚や仲間から慕われていたというエピソードが見当たらず、戦専門の武将という印象が拭えません。

また、当時の北陸方面は、雪深く、交通アクセスも厳しかったことから、地域に張り付くと動きにくく、移動に苦労したことは伺えます。

これは、信長の信頼とも言えますし、勝家を中央に置かない距離感の妙とも言えます。

結果として、本能寺の変で出遅れて、清洲会議で不遇な扱いを受けていくという晩年に関わってくるポイントです。

戦国のストーリーには不可欠なのに、あくまでも脇役になる

戦国時代の物語の中では、柴田勝家は不可欠の存在なのですが、どうしても、作品の中で主役を演じることが少ないキャラクターです。

味のある脇役と言えばいいのかもしれませんが、彼は信長への忠臣であり、軍人そのものです。

だからこそ、今回、『柴田勝家 織田軍の「総司令官」 (中公新書)』という、彼をメインにした一冊は、知らなかった史実も含まれており、興味深いものでした。

秀吉と異なり、自分を美化するような文書を残していない点も大きな違いであり、謎も多く残されています。

今の時代でいえば、日記もブログも、写真・画像系も残さないタイプの人間なので、周りの不透明な資料を読み解く、著者・和田さんの粘り強さと、愛すべきキャラクターである勝家に焦点を当てることは秀逸です。

歴史上、もし、賤ヶ岳の戦いで、勝家が勝っていたら、どんな時代がその後訪れたのか、想像してみたくなります。

おそらく、戦国時代がもう少し長引いたのかもしれません。(秀吉政権が誕生しなかったと仮定した話ですが)

彼は、信長を支えることはできたが、部下を育てられなかった

忠臣として、信長を支えて、命令には絶対的に服従してきた、勝家ではありますが、自身は部下を育てられなかったような印象が強く残ります。

強い武将としてのキャラクターで、戦での存在感は圧倒的だったのは間違いありません。

ただ、彼の組織作り的な才能が足りなかった、もしくは、豊臣秀長のような名補佐役が存在し得なかったことが、残念でなりません。

つまり、個だけで成り立つ時代ではなく、組織力が必要となった中で、織田軍の組織の一部としては有能でも、自分が組織の長としてみると、役不足と人に恵まれなかった(信頼できる同僚・仲間も早々に戦で失った可能性が高いですが)のが不運な最後を迎えたのだと思います。

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安斎 輝夫
安斎 輝夫
【サードプレイス】ブロガー 、安斎輝夫。長年サラリーマンとして家庭と職場だけの生活に疑問を持ち、2017年から「サードプレイス」を研究・実践し、人と人をつなぐコネクターな存在になろうと決める。
Expand your life with energy and support. というミッションを定めて、人生を一緒に拡張していける仲間を増やすために活動を展開。月1回のリアルなイベント「サードプレイス・ラボ」の運営するリーダー(主宰者)。また、6人で執筆する、週刊「仲間と一緒にワクワクしながら、大人が本当の夢を叶える!サードプレイス・メルマガ」(まぐまぐ)の編集長。Facebookページおよびグループの「サードプレイス・ラボ」も運営中。