「板垣死すとも自由は死せず」
近代日本史の中で、自由民権運動指導者、板垣退助の名言と言われている言葉を耳にしたことはあるでしょうか。
暴漢に襲われたタイミングで、このようなフレーズを口にできるなんて、ドラマのワンシーンとしか思えません。
近代史の中で、名前は知っていても、実像がよくわからない存在をまとめた、中元崇友(著)『板垣退助-自由民権指導者の実像 (中公新書)』を読んでみました
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幕末から明治を駆け抜けた、板垣退助って、総理大臣になってない!
今回、板垣退助を知るために、彼の人生を追いかけていて、意外なことに気がつきました。
近代日本で、知らない人がいない、板垣退助は、総理大臣になっていない!という事実。
自由民権運動を起こし、国会を開設させた男が、実は、国のトップに上り詰めていない点に、不思議さと、彼の弱さも含めた魅力を感じました。
板垣退助は、軍人から政治家として活躍した!彼の功績は、政党を作ったこと
まずは、板垣退助という人物を知るために、基礎情報を調べてみました。
板垣 退助(いたがき たいすけ、天保8年4月17日(1837年5月21日) – 大正8年(1919年)7月16日)は、日本の武士(土佐藩士)、勤皇志士。軍人・政治家。自由民権運動の主導者。従一位勲一等伯爵。明治維新の元勲。「憲政の父・国会を創った男」として知られる。(Wikipediaより引用)
まず、82歳まで生き抜いた、明治維新の元勲「憲政の父・国会を創った男」と言う点は、間違いありません。
幕末の土佐藩に生まれ、政治家として名を挙げ、実績を残したのは素晴らしい。
ただ、彼は、総理大臣という、国のトップにはなっていないのです。
内務大臣なども経験している政治家だから、衆議院議員かと思いきや、こちらも違う。
明治の元勲、華族であれば、貴族院議員かと思ったが、こちらにも該当しない。
彼は、国会議員を選ぶ総選挙に立候補して、国政の表舞台にオフィシャルに立っていないということを初めて知りました。
イメージとしては、大阪府知事で活躍した橋本徹氏の姿が浮かぶが、彼は、府知事選には立候補として当選している。
自由民権運動を起こし、国会を開設させたのに、自らは、国会の表舞台にいない。
しかし、自由党などを作り、政党のトップとしてはポジションを取っている。
実に、不可思議な存在です。
当時、人気もあった存在なのに、なぜ、選挙に出馬して、総理大臣というトップを目指さなかったのか。
板垣退助は、国のトップになるのが恐かったのではないか?
史実を丁寧に追う『板垣退助-自由民権指導者の実像 (中公新書)』では語られない、謎を少し想像してみることにします。
土佐藩の上士として生まれ育ち、ある意味、やんちゃだったと思われる青年時代、彼は、何度もペナルティを与えられている。
チャンスをつかみ、藩の中で出世を遂げ、戊辰戦争では幕軍の司令官として、闘い続けて、会津藩を降伏まで追い込んでいる。
ここまでは幕末の軍人キャラであり、そのまま進めば、明治政府の陸軍幹部としての道があったかもしれない逸材。
ところが、時代の中心は、薩長(薩摩と長州)に牛耳られてしまい、自らは、高知藩の改革に挑んでいます。
転機は、明治六年の政変で下野し、明治八年も政変で負けていること。
40歳手前で、自分の筋が通らず挫折した経験があったからこそ、彼は、西郷隆盛の西南戦争には加担せず、政治の道で国を変えようとシフトしていきます。
自由民権運動を扇動して、国の在り方を変えて、政治の道を歩んでいく人生。
彼は、政変で負けたことがあり、おそらく、決着がつく選挙という場を恐れていたのではないかと、私は推察します。
落選してしまえば、カリスマ的な存在価値を失ってしまう。
選挙に出ずに、政党の中心にいて、仲間・同志に動いてもらい、国の形を整えていく。
伊藤博文などと違い、総理大臣というポストを狙わなかったところに、板垣退助の謎があるのですが、それは、負けることへの恐怖が消えなかったのではないでしょうか。
幕末であれば、江戸幕府が崩壊させる官軍に立ち、圧倒的な存在だった西郷隆盛も、対立の中で追われて、反乱の親玉となり、この世を去る。
政治が好きなのに、選挙に出ないカリスマ。
本当に不思議な存在です。
近代日本の政党史も離合集散が続く、現代の政治史と変わらない
受験勉強として、近代日本の政党史は覚えましたが、そこに出てくる人物と、細かな関係性までは意識したことはありませんでした。
『板垣退助-自由民権指導者の実像 (中公新書)』を中盤以降は、まさに政党の離合集散の歴史を追いかけます。
信条が違うのに一緒になったり、バラバラなものが統合されたり、正直言って、本当に国民を向いてやっていたのか、ただの勢力争いをしていたのか、よくわからなくなります。
その姿は、政治改革という名の下、平成の政党の誕生、離散、統合、崩壊などを見ていくのと同じで、登場人物の名前だけが違います。
政党政治を目指して、頑張っていた板垣退助たちは、国民のための政策を出して論争をしていたはずなのに、図式化すると、ただの離合集散の輩に見えてます。
政治の世界は、魑魅魍魎たちが暗躍するというのは、間違い無いでしょうが、ここまでバラバラで、ゴタゴタしているのを見ると、1つの課題のためだけに、プロジェクトのように集まって、終われば分かれていくスタイルだと思わないと合点がいかなくなります。
結局、歴史は都合よく書き換えられている
歴史関連のことを学ぶ際には、史料を丁寧に追いかけて、当事者たちのさまざまな切り口を追わないといけません。
なぜならば、歴史は、勝ったものが都合よく書き換えて、後世に残している可能性があるからです。
敗者や弱者の目線で歴史が語られることは稀で、あくまでも勝ち残った側が、残酷で残忍で、汚い話は全てカットして、後世に歴史として語っています。
今回、『板垣退助-自由民権指導者の実像 (中公新書)』を読んでいて、彼の名言が、エビデンスを残せない時代(今ならば、誰かが動画で撮影して、SNSで拡散してしまうのでフェイクでなければ残ります)だからこそ、彼の名言が、事件の最中で発せられたように伝えられています。
襲われた状態で、名言を残せる人物がいたとは考えにくく、日頃の彼の演説などから、誰かが脚色をして作り上げた名言とキャラクターとして残されていて、総理大臣にならなかった男、としては、誰も語ろうとはしないのです。
<板垣退助の関連本>
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【サードプレイス】ブロガー 、安斎輝夫。長年サラリーマンとして家庭と職場だけの生活に疑問を持ち、2017年から「サードプレイス」を研究・実践し、人と人をつなぐコネクターな存在になろうと決める。
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