歴史は勝者が作るもの 〜幕末・明治維新を敗者から見る〜

私のルーツは、福島県二本松市です。両親とも、市内の出身。おそらく、先祖も大半が二本松市に関わっているのでしょう。

慶応4(1868)年7月29日に、長州・薩摩連合の新政府軍と戦った二本松藩の存在を改めて考えてみたく、一冊の本を読みました。


明治維新という過ち 【改訂増補版】: ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』原田伊織

「二本松少年隊」は、会津白虎隊ほどの知名度はないものの、13−17歳の少年たちを主力とする部隊の存在は、忘れてはいけない歴史の一部なのです。

彼らは、逃げ出すことなく、果敢に戦いを挑み、散っていきました。なぜ、彼らを投入しなければいけなかったのか。どうして、藩を挙げて、戦わなければいけなかったのか。

”戊辰東北戦争だけでなく、戊辰戦争全体の中で、全国で三百弱存在した大名家=藩のうち全藩挙げて総動員体制で新政府軍に抵抗し、文字通り全藩玉砕壊滅したのは二本松藩ただ一藩である。”

徳富蘇峰が「会津・二本松の卓越した政治姿勢があったから、日本は植民地にならずに済んだ」と語っている。

圧倒的な兵器・兵力の差があったにも関わらず、「武士の面目」があり、死を決して戦った二本松藩士たちが、私のルーツと繋がっている。

今まで、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』などの幕末小説を読む中で、西国の志士にロマンを感じていたものの、どうも釈然としない気持ちが残っていました。

原田伊織さんは、著書の中で、現代のタリバンやイスラム国と、幕末の長州は、「テロリスト集団」として同じような存在として捉えています。

今までの既成のものに逆らって、暴力行為を働くあたりは、似通っているのかもしれない。しかも、国内で別れて戦うあたりも、類似性を感じる。

そして、勝ち残った側が歴史をまとめて、幕府側についた抵抗勢力を賊軍として扱っている。果たして、時代は、どちらに正義が存在したのだろうか。

長州・薩摩のテロ行為の暴走が、太平洋戦争に、というくだりに関しては、納得しかねる部分は残りますが、立場と目線を変えれば、何が正しいのか、事実なのか、見直す必要は、どんな局面にも存在しているのです。

”「新時代」「近代」と、時代が下ることがより「正義」に近づくことだと錯覚していないか。「近代」と「西欧文明」を、自分たちの「幸せ観」に照らして正しく位置づけているか。そして「近代」は「近世」より文明度の高い時代だと誤解していないか。
今、私たちは、長州・薩摩政権の書いた歴史を物差しとして時間軸を引いている。そもそもこの物差しが狂っていることに、いい加減に気づくべきであろう。”

どんな物差しをもって、判断するか。その物差しは正しいのか。

日々の生活の中で、考えてみる必要があると私は思います。