努力の価値とは、継続して意味が出てきます。最後は習慣として定着すれば最高!

努力の価値をどう考えるか

サラリーマン・サラリーウーマン同志の皆さん、「努力」って必要だと思いますか?
昔ほど、努力、根性という単語を耳にしなくなりました。頑張りすぎることが人を追い込んでしまうという風潮からなのか、いわゆる「ゆとり世代」が増えてきたからなのか、原因はわかりませんが、薄まった感があります。

では、一流の人たちは、努力をしない天才なのか、と尋ねられれば、おそらく、答えはNo!だと思います。たゆまぬ努力を続けてきたからこそ、才能が開花したり、実績となって評価されているケースが、ほとんどなのではないでしょうか。

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「自分の限界がどこにあるかっていうのを経験とかから知って、それに向かってたゆまぬ努力を続けることができる人、それが本当のプロフェッショナルじゃないかなっていうふうに思います」
(宇宙飛行士・若田光一 NHK「プロフェッショナルの流儀」より)

繰り返して続けてきたこと、あきらめない活動により、求めるゴールの為にあるのが、努力なのです。

間違いなく誰もが、何らかの努力をして大人に成長してきました。それぞれ、小さな子供の時期も、少年少女期も、青少年期も含めて、何らかの努力をして、今までできなかったこと、壁を乗り越えて、大人になってきたのです。

サラリーマン・サラリーウーマンになると、一歩間違うと、毎日が同じことの繰り返しになり、経験値によっては、適度な力の入れ加減で無難な仕事がこなせるようになる時があります。もし、そこで安住してしまえば、努力による成長はストップして、劣化や退化が始まってしまいます。人間として、マインドの老化に繋がれば、見た目もも含めて、折り返した人生は加速度的に落ち込んでいく可能性があります。

一方で、いくつになっても、チャレンジし続けるような方は、コツコツと努力を続けて、プロフェッショナルな自分の人生を歩むことができているように見受けられます。決して、肩書きとか資産ではなく、輝かしい自分の人生を生き抜く姿から放たれるオーラは、誰の目から見ても、キラキラ、生き生きとして映る姿です。

努力という言葉が嫌いであれば、毎日続ける行為として、「習慣」と言い換えても良いと思います。誰に強制されるでもなく、自分の継続する「習慣」こそが人生を左右する大事なエンジンだと、最近、改めて気づかされています。