日本人は1億人いないとダメなのか?少子高齢って何が問題なのか?
この本の中で、最初にインパクトがあったのは、日本の人口が減るとは言うものの、本当に1億人が必要なのか?という逆説的なアプローチを投げかけられたことです。
少子化と高齢者増が増える社会は、世界でも稀に見るケースであり、国の勢いが衰えてしまうという前提で論じられます。
実際、医療が進歩したことで、日本人の寿命は延び続けて、高齢者が増える社会になるのは予測可能なシナリオです。
社会保障などの負担を考えると、この高齢者を支えるのに、若者が必要となります。
第2次ベビーブーム以降、毎年、出生数は減り続けています。
ここに影響を与えているのは、男女雇用機会均等法に伴い、女性が社会で長期的に活躍する時代になり、若くして結婚と出産、家庭を守る専業主婦というモデルが崩壊しました。
女性自身の生活力が高まったことで、男性に養ってもらうことを前提にする生き方を選ぶ方が減りました。
バブル経済崩壊後、終身雇用の安定が失われて、成果主義が導入されました。働く男性も必死に競争を勝ち抜こうとする者の、右肩上がりの時代ではなく、一家を一人で支えることが難しくなりました。
結果として、夫婦共働き社会になり、子どもは、保育園に預けるというのがスタンダードになり、預け先がなくなるという問題が露わになりました。
一方で、団塊の世代は現役会社員から引退しているものの、若々しく元気で、消費を引っ張る存在です。また、無理のない範囲で働こうとする方も増えています。当然、年金生活だけで最期まで暮らすことが難しいという課題もあるので、何らかの形で社会に関わり働くという方も増えています。
人口が減れば、右肩上がりの施策は不要になるのでしょう。
限界集落のような存在は減り、ある程度まとまった環境で暮らす地域は絞られてくるのは予測できます。
自分自身の未来に不安があるのだから、子どもを増やそうとは考えにくいマインドがあります。
もし、日本の人口が、現在の半分になっても、生きていけるはず。
少子化対策は失敗だったと認めて、何を取り組むのか。
無理矢理、1億人全員が活躍しなければいけないと国が押し付けるという感覚が気持ち悪いと思います。
フレーズとしては、かっこよく聞こえますが、活躍するために、虚偽、嘘をまかり通るようにしなければならない場面が増えているのを見せられると、
社会と個人にとって、明るい未来を見据える姿を見せないと、少子化の問題は解決しないでしょうし、学費や養育にかかる費用を社会が負担するという流れにむかう必要があると私は思います。
少子化対策は、不妊治療技術の進歩でしょうし、介護という大きな問題への社会不安を減らすためには、高齢者の健康寿命を延ばすことに全力を向けるべきでしょう。
また、個人が無理をしたり、壊れてしまわない社会、個人の多様な生き方を認めた結果、日本人全員が輝くという意味での総活躍ならば、理屈はわかります。
長時間労働を減らす方向と残業代不要なホワイトカラーエグゼンプションは
「働き方改革」の本丸の中で2つの矛盾が横たわっています。
電通の過労自殺事件を受けて、長時間労働を減らす動きです。
ここにも、実は、三六協定を乗り越えて、残業時間の上限を設定するという不可思議な展開になっています。
残業しなければ仕事量がこなせないという出発点が間違いで、余計なことをやめれば、残業をしなくても済むようになると発想を転換することが必要です。
一方で、ホワイトカラーエグゼンプションの流れがあります。ホワイトカラーの労働時間制限の撤廃をできる高度専門職を設けるというもの。
労働者派遣法の専門職種が、大幅に拡大されたように、この制度もスタートすれば、なし崩し的に労働時間制限は消えてしまうことになります。
労働時間=給与、残業代=割増賃金、という前提をなくしてしまえば、経営者は従業員にオーバーワークを求めることが可能になってしまいます。
現状、個人経営やフリーランスの方は、時間による管理というい考え方ではなく、結果を出すために、どうするのかという点に意識を向けています。彼らは、オーバーワークになり、身体を壊したり、仕事の成果が上がらずに苦しい場面に陥る機会があります。
では、時間は同一の価値を生み出しているのでしょうか?
朝の1時間と夜の残業1時間。
同じ1時間であっても脳や体の疲労などにともない、アウトプットには差が出てきます。
ここで、パフォーマンスが落ちている残業時間が労働単価が高くなるというパラドックスがあるのです。
無駄を減らし、業務によってはAIなどに任せて、過剰なサービスを減らしてシンプルにする。
労働時間が過剰というのは問題ですが、その原因があるはずです。
ホワイトカラー職の方も、自分の仕事が好きで夢中になっているのであれば、精神的な負担は少ないまま、頑張れているのです。
ハードワーカーが素晴らしいと賞賛する時代ではないのですが、どこまでも仕事が好きで制限をかけられずに頑張りたいという人と、労働時間の長さが気になって仕方がない人では、別の軸で考えなければいけないでしょう。
ワークライフバランスと労働生産性
労働の価値を生産性という観点で見て、国際比較をするようになりました。
日本の労働制生産性が各国より低いというい点ばかりがとりあげられていますが、この本でも書かれていた通り、ベストな指標とは言い難い面があります。
自分の労働によって、どんな価値が生まれているのか?という視点で物事を考えられる人と、何時間も働いたのに給料が少ないという人では、完全に意識が違うので、話し合いのテーブルに乗せるのも難しいほどのギャップを感じます。
労働生産性を高めるために、減らせることは何か。無駄なモノをどこまで削ることができるのか。削った時間にクリエィティブな要素、イノベーションに繋がるようなことに取り組めているのかどうか。
同時に、ワークライフバランスを提唱されていますが、ワークとライフを完全に分離するというのが良いのかという議論も出ています。
日本は、オンとオフをドライに割り切れるような文化ではなく、混ざり合っています。
むしろ、オンとオフを小刻みに折込ながら生きていくほうが望ましいのだと感じます。
落合陽一氏の言う「ワークアズライフ」に対して共感する人が多いことからしても、バランスを取ることに躍起にならなくても良いというのが答えだと思っています。